ラ・マヒストラル

色んな町を訪れたときに思ったことや考えたことを中心に書きます。所以、放浪記です。写真はこっちに→ http://nkkwu.tumblr.com/

浅草オペラ

1月の成人の日、浅草へ向かった。

新年の初詣客の晴れ着と新成人の晴れ着が入り混じり、晴れ着の着用率は1年で最も高い日だったと思う。浅草寺界隈は非常に晴れやかな雰囲気である。

大変失礼ながら、新成人か否かを振袖やお顔などで判断しながら、浅草寺境内を六区の方へ抜けていく。

テキ屋のおじさんが、「おめでとうございます。」などと声をかけている。彼も自分と同じような仕方で判断しているのだろう。

目的地は浅草木馬亭である。浅草演芸ホールや東洋館は落語や漫才のメッカだが、こちらは浪曲を中心に興行している演芸場である。

しかし、その日は浪曲ではなく、軽演劇を鑑賞した。

浅草での軽演劇は、かつて浅草オペラと呼ばれていた。当日、鑑賞した演劇団もその系譜をひくものであるといえる。

会場の木馬亭はとても年季が入っている。

幕は人力で縄を引っ張って開閉しているためかズルズルと動き、館内の音響調節は最後方の客席の後ろで、担当者がくたびれ加減に行っている。空調もあまり万全でないのか、喉が弱い自分は入館後すぐにイガイガしはじめた。

100席少々の小さなハコのなかで上演される喜劇や漫談は、観客との距離も近い。

ポンカンの皮をブーメランのように見事にとばす漫談師が「お茶を飲みたい」と嘯けば、観客のおじさんが売店にお茶を買いに走り、また別のおばさんは「お土産を持ってきた」と言って舞台までおもむろに向かい、ついにはお小遣いと言って千円札まで渡す。

馴染みの観客が何度も何度も舞台へ向かい、他の観客はそれをみて楽しむ。

ここでは演じる側とそれを観る側という関係性はとても曖昧なものであり、私のように気まぐれで入館し、その完全に分離された両者の関係性に甘えたい人間にとっては、ドキドキハラハラものであった。

漫談や舞踊などの上演の後、トリは軽演劇であった。

浅草で葬儀社を営む男とその家族、従業員が織りなす喜劇であった。

葬儀社の主人はなぜかジャイアンツの帽子を被っていた。正月という設定もあり、袴を着ていて、店を模した壁には日の丸が掲げられていた。

その一方、そこで働く従業員は、訛りがきつく話を聞きとるのが難しいという設定の「青森人」と、なぜかその青森弁を聞き取るのがうまい中近東出身の外国人で、また、主人の妹は「石女」という烙印を押され、実家に出戻ってきたという設定であった。

そんな彼らを取り仕切るのが、袴にジャイアンツ帽を被った主人である。

物語の構造があまりにも明け透けである。

結末もまた同様である。

その中近東出身の従業員は、実は国王の息子、つまり王子だったということが発覚する。本国ではやんちゃまみれだったが、浅草の人々に囲まれて生活することで更生したと来日した国王は感激し、結局、王子はその地位を捨て、浅草で生きていくことを選ぶというものであった。

とても分かりやすい。

浅草オペラ、分かりやすい。

 

悔しいが、差別と笑いは切っても切り離すことができないものだということは、認めたくなくても認めざるをえない。

バカバカしいといって切り捨ててしまいたくなるのは、実は差別的な自分を直視したくないからだろう。

だから、とりあえず、切り捨ててしまうのはやめておく。

そこまで思って、地下に入り、銀座線で浅草をあとにした。