金曜日は美酒爛漫
先週末の金曜日、仕事で近くに行った帰りに1年ぶりに赤羽に寄る。
すこし前に「東京都北区赤羽」という漫画にハマった。
赤羽には、少なからず期待と羨望を抱いている。
その晩は、「まるます家」同様、前から行きたかった「八起」で晩酌した。
八起はオーケイ横町にある。
言わずと知れた名物は「おっぱい炒め」。
もちろんヒトの、ではなく、豚の、である。
店内に入り、振り返って引き戸を締める時、肩にかけたビジネスバッグがカウンターの一番手前に座っていたオジサンに当たったらしい。
そっくりそのまま「東京都北区赤羽」に出てきそうなそのオジサンは、えらくご立腹だったが、そこはメンゴメンゴ。
気を取り直して席に座り、生ビールの大といわしの香り揚げなどを注文。
おっぱい炒めはここではスルー。
だって、オジサンにぶつかったあげく、おっぱい炒めなんか注文したら、新入り感バリバリやん。(おそらく、バレバレ)
気を取り直して、店内のあちらこちらに目をやる。
細長い調理場を挟んで向こう側にも同じようにカウンターがある。
細長いその調理場には、10人もの男たちが、声を絶やさず、手足を止めることなく、調理にあくせくしている。
この人件費など決して気にしない、太っ腹感が良い。酒が五割増しで旨くなる。
同じ牛丼チェーンでもワンオペのすき家より、ホールにキッチンに人をガツンと投入している松屋が好きだ。
それはひとり侘しく酒やメシを食らう気持ちの隙間を埋めてくれるからだろう。
外の看板や店内には、「美酒爛漫」という日本酒のコピーが氾濫している。
美酒爛漫という言葉。いくら氾濫してもらってもかまわない。
氾濫すればするだけ、漫画の効果音の吹き出しのようにその文字が弾んでいるようで、その海に溺れてしまいたくなる!
右隣にはこれまた濃厚なおじ様二人組が、「麻布」やら「六本木」やらと話している。
そんなとこまでは行かんでも、ここで美酒爛漫でええやん。
茅場町で木曜日に花金
金曜日に代休をとることになったので、木曜日が事実上の週末となった。
翌日の金曜は世間的に給料日。
花金に給料日という数ヶ月に一度の激アツな巡りあわせである。
そんななか、給料日前日の木曜が週末となったわたしは、 花金ならぬ花木という紛らわしい言葉を生み出す事態になったのである。
そんなハナモクにふさわしい場所で軽くひっかけようと思って向かった場所は、茅場町。
まだ耳慣れぬ頃は、カバヤ町と何度言い間違いそうになったか分からないが、今でははっきりと言える、カヤバチョー。
目的は、以前から気になっていた「ニューカヤバ」という立ち飲み屋を訪れるためである。
二階建ての一階部分がガレージになっていて、軽自動車が二台収められており、一見するととても飲み屋には見えない。
だが、そこには「ニューカヤバ」と書かれた赤ちょうちんがぶらさげられており、間違いなく目的の場所である。
なかなか混乱を呼ぶ風景である。
勇気をもってガレージに踏み込むと、軽自動車の奥には引き戸があり、その窓の向こうの狭い店内にはおやじたちが赤ら顔でうごめいているのが見える。その圧力たるや。
店内のシステムはセルフサービスの極限のようなもので、日本酒や焼酎は自販機で、生ビールは硬貨を投入するとサーバーが作動して注がれる。
それだけでなく、焼き鳥はカウンターで購入した後、自分で囲炉裏で焼くという徹底ぶり。
セルフサービスの極限などというと、人件費削減のための効率化が徹底された様子が思い浮かび、いかにも温かみがないように聞こえてしまうが、どうやらここにはそれは当てはまらない。
郷愁を誘う店内の光景は、日中あらゆる方面に気を配り、気疲れしたおやじたちに安らぎを与える。そして、店員を含め周りが干渉してくることがない環境に自由を感じる。
ここのセルフサービスは、「自分でやってください」ではなく、あくまで「ご自由にどうぞ」なのだ。
この狭い店内で、我々は自由を謳歌する。誰しもがワンマン社長である。
私もビール一杯400円、焼き鳥一本100円の対価と引き換えに、一足早くハナモクのワンマン社長に就かせて頂き、ご満悦となった。
匿名広尾
仕事が午後半休だったので、通勤路線の途中駅である広尾で下車し、久しぶりに都立中央図書館へ向かった。
修論を書いているときにはよく行ったけど、最近はめっきり。
有栖川公園を抜けて、園内の西端にある図書館へ。
平日の昼下がり、幼稚園帰りのお子さんとママさんでにぎやかで、池でフナ釣りに勤しむおじさんたちもいつもながらいる。陽気も良い。
図書館では特にあてもなく気の向くまま読書し、少し飽きた頃に外に出た。
隣は麻布運動場なのだが、日の高い頃は年配の方ばかりで埋め尽くされていたそこのテニスコートも、日が落ちると少年少女たちのスポーツクラブの練習場となっている。
所以、ここは麻布、広尾なので、彼ら彼女もそれなりの所得のある家庭の子弟ということになろう。
運動場を抜けた先には、建築中の一軒家があったが、工事の詳細を表わす立て看板は「N様邸」と匿名になっていた。
その手前の道路を、行先も所有者も掲げられていないバスが通り過ぎる。なかには欧米の血をひくと思われる子どもたちが乗っていた。
この界隈には各国の大使館が密集していて、街を歩いていても外国の方とすれ違う頻度が高い。バスに乗っていた彼らはその家族なのかもしれない。
この街では、名が提示されていない分だけ、街を行く彼ら彼女らの外見という表象が、より強くこの街のアイデンティティを印象付ける。道の至るところに立つ警官は、この匿名を守る存在だ。
図書館からの帰りがけ、メトロの駅に向かう途中でマクドナルドに立ち寄った。
私の隣の席でアップルパイを頬張っていた女性が読んでいた本は、不妊の解消に役立つ本だった。
彼女は、これから新たに産み落とすかもしれない命に何と名付けるのだろうか。
大井で排尿
最終レースの後、帰りがけに便所に寄り、用を足す。他に人はいない。
最中に、警備員のおやっさんが入ってきた。「従業員も利用させて頂くことがあります」という白々しい告知も、この競馬場には必要なく、当然のごとく彼らも利用する。
「最終は荒れましたか?」
排尿中の私におやっさんは尋ねる。
「ええ。まぁ、ヒモ荒れですね。」
排尿準備を整えた彼に過不足なく答える私。
「そうですか。でもまぁ今日はずっとかたかったですね。」と放尿先から視線を逸らすことなく、続けて返すおやっさん。
「そうですか?1番人気はほとんどアタマにこなかったですけどね。」
彼と私のあいだには、「荒れる、荒れない」について認識の相違があるのだろう。
噛み合わない会話が、さらにこの空間の居心地にむず痒さを与える。
レースが気になりつつも勤労していたをおやっさんと、酩酊ほろ酔いの私では、排尿量に差があったようで、あとから用を足していた彼が先にチャックを上げて便器から離れ、私の背後を通り過ぎた。
まだ何やらぶつぶつとつぶやいているが、排尿の終わり際が気になる私はそれほど耳を傾けるつもりはない。
手洗いに向かうかと思われたおやっさんはそのまま、「じゃあ、ありがとうございましたー。」と言い、私にも手洗い場にも見向きもせず、出ていった。