ラ・マヒストラル

色んな町を訪れたときに思ったことや考えたことを中心に書きます。所以、放浪記です。写真はこっちに→ http://nkkwu.tumblr.com/

コンビニ各社は駅や公園のゴミ箱撤去に抗議を!

街を歩くと、駅の近くなど、人通りが多いところほど、コンビニのゴミ箱が店内に設置されていることが多い。

捨てに行きにくい。

ここで買ったもんちゃうし、コソコソ捨てに行く自分もなんかうしろめたい。

なおさら「家庭ごみの持ち込みはご遠慮を」と書かれてもいる。

右手に持ったパンの袋を持て余す。(でも、そもそもどこからどこまでが家庭ごみ?)

 

なんでわざわざコンビニのゴミ箱に捨てにいくかというと、他に捨てる場所がないからだ。

脇目もふらず道端にポイ捨てしたり、落としたふりして側溝に捨てたりするよりは、他の人に迷惑をかけることも少ないし、自分の精神衛生上も良い。

だからやむをえず、コンビニのゴミ箱に捨てている。

多少、うしろめたい思いをしながらも。

 

いま30歳そこそこの自分が幼い頃は、まだ道や公園、駅にゴミ箱が置かれていることが多かったと思う。

それがいつの間にか、潮が引くように、少しずつ少しずつ、気づかれないように気づかれないように、消えていった。

表立っての撤去の理由は、「テロ対策」だのなんだかんだ。

でも、よりテロへの不安が大きいだろう欧米諸国なんかは、通りの至るところに、公共のゴミ箱が設置されていたりもする。

それがどれだけ人の不安を煽っているかというと「?」だろう。

 

要は「テロ対策」なんか体のいい建前だと思う。

ホントはゴミ箱からゴミが溢れてたり、それを回収したりするのが、面倒だし、コストなんだろう。

(毎日乗っていてお世話になっているTokyu電鉄さんなんかは、自販機横の缶・ペットボトル用ゴミ箱以外はほとんど駅にゴミ箱を設置していない。なんてこった!)

 

かと言って、「捨てる場所がないから…」としょうがなく家まで食べ終えたパンの袋を持ち帰るほど、多くの人はできた人でもない。

でも、ポイ捨てもしにくい。

だから、かろうじてゴミ箱の設置されているところに捨てに行く。

その場所が、今はコンビニ一辺倒となっているように思う。

 

駅や道からゴミ箱を撤去すれば、行政や鉄道会社は、面倒なことも少なくなって楽チンだろう。

でも、そのつけが周りに及ぶ。

それを一手に請け負っているのがコンビニのように思う。

(またTokyuさんの話になってあれだが、「美しい時代へ」なんて企業コピーを掲げているけど、御社が駅にゴミ箱を設置しないせいで、御社が愛する沿線の街は、美しさからほど遠くゴミが溢れているかもしれないんだぜ!)

 

今やコンビニは、営利企業の枠を超えたパブリックな存在になっているように思う。

それは本来パブリックを担うところ(駅や公園や道路)が、その役割を放棄しつつあるからだろう。

まぁ、コンビニ各社にとったら、パブリックな存在であることを生かして、色々な事業をやったり収益につなげるから、ゴミの処理ぐらいは「投資」と言えるのかもしれない。

 

でもそうじゃないなら、これはお前らの仕事だろ!と一度文句を言ってみるのもありかもしれない。

 

 

 

【武蔵小山再開発最前線2019】あれから5年。のびゆくタワマンの足もとで起こりつつあること。

まずは、3年ほど前の2015年10月に私がこのブログで書きかけて、下書き保存したままになっていた以下の文章をお読みいただきたい。

 

きっかけは、車内の会話の盗み聞きだった。

2年ほど前、ほろ酔いで山手線に乗車していたときのことだった。

となりに座っていた若いサラリーマン二人組から飛び出した、「武蔵小山」「開発」というワードは、酩酊し、とろけそうになっていた私をドキリとさせた。

なになに?東急がその開発に関わっているだと?

何やら聞いてはいけない業界裏情報を聞いた気分になって帰宅し、ネットでかちゃかちゃと検索をかけたら、何のことはない。

そんなこと、とっくの昔に決まっていて、もうすでに動き出しているのだった。

武蔵小山はいまの住まいからもわりと近く、ことあるごとに訪れている。

その当時、越してきて約1年であった私は、都内で最長のアーケード商店街があり、その裏側には濃密な飲み屋街を抱えた武蔵小山にすっかり心酔していた。

 

時を経て、2019年。

3年ほど前に書きかけた、その約2年前の再開発への驚きは、やがて、日ごとに高くなるタワーマンションへの驚きへとって代わり、しかしそれもやがてごく当たり前の光景となって、今では何も感じなくなってしまった。

もちろん、上で書いていた「濃密な飲み屋街」こと「りゅえる」飲食街では、かつて下のような風景に出会えたことを、iPhoneの写真整理をしているときに思い出し、ありし日を偲んで惜しんだりもする。

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とはいえ、いくら往時を偲んだところで、今この場所にあるのは建設中のタワーマンションであり、その一帯を取り囲む仮柵には「日本一、感じのいいタワマンへ。」というツッコミどころ満載すぎて、もはや閉口してしまうようなコピーが描かれているだけなのだ。

驚きと嘆きは、すでに過去のものとなった。

 

しかし、その「日本一、感じのいいタワマン」が建設中のすぐそばでは、少々「感じの悪い」事態が現在進行形で起こっていたりもする。

建設中のタワマンは武蔵小山駅に隣接しており、その駅前には広々としたバスロータリーがある。

そのロータリーの端の方には品川区が設置したベンチがあった。

そして、そのベンチには周辺の住民と思われる、やや高齢の人たちのグループがたむろしている光景が何年にもわたって続いていた。

しかし、先日通りがかった時には、そのベンチの周囲が工事用の柵に覆われ、利用できないようになっていた。

そこには、ここは公共の場所であるため、私有物の放置はダメだと言う旨のボードも同時に掲げられていた。

 

真相は分からない。

本当に何らかの私有物が放置されていて、それが他の人の利用の妨げになっていたのかもしれない。

でも、本当にそれが原因なら、私有物を撤去すれば済む話で、ベンチがあるエリアへの進入を禁止する必要はないはずだ。

おそらく、ベンチの周囲で毎日のようにたむろする彼らがおもしろくなかったのだろう。

そこにたむろしていた人たちは、失礼ながら、いかにも町のおじさんおばさんといった感じで、「しゃれた街並み」(武蔵小山再開発の根拠となった都の条例の名前は、なんと「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」!)のイメージからは距離があったのは確かだからだ。

おもしろくないと思ったのが、区なのか、他の周辺住民なのか、はたまた再開発主体なのかは分からない。

しかし、たむろしていた人たちや通りがかりの私のような人にとってみれば、追い出した、追い出されたと感じても無理はない。

いくらタワマンそのものが感じのよい仕上がりになっても、それが出来上がる過程で、その周囲において、すでに「感じの悪い」事態が進行しつつある。

こうして、タワマンへの嫌悪のまなざしは醸成されていく。

 

 

天空の三軒茶屋バッティングセンター

2年ほど前から草野球チームに入っていてるので、週末は野球に勤しむことも多い。

なので、週の半ばぐらいには、「バッティング練習でもして、次の試合では会心の一撃を…!」などと思い立ってしまう。

まさしく、サンデーアスリート気取りである。

そのときも、抑えきれないそんな思いを抱えたまま、自宅近くのバッティングセンターを探していた。

すると、なんと三軒茶屋にあるという情報を得た。

幸い、その日は仕事の都合でそのあたりに向かう予定だったので、これはよしとスーツ姿のまま意気揚々と、Googleマップが指し示す場所に向かった。

飲み屋がごちゃごちゃと集まる路地をくぐり抜け、こんなところにはたしてバッティングセンターが?と思わずにはいられなかったが、指し示すその場所に着いた。

しかし、そこにあったのは、店先にキャベツがゴロゴロ積まれた肉のハナマサだった。

おかしいなと思い、周囲をキョロキョロ見渡すと、その脇に「↑三軒茶屋バッティングセンター」という小さな看板が。

恐る恐るその看板が掲げられた通路を覗くと、現れたのがこんな景色。

 

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ただの古ぼけたビルの非常階段やん。

妖しく光る赤色の非常灯、足を乗せることを躊躇してしまうような薄い金属製の螺旋階段。

さながら香港映画の世界だ。

これを登りきった先にバッティングセンターが…?

恐る恐る一歩ずつ歩みを進めるが、進めば進むほどますます怪しい。

階段をぐるぐる登る。

私の思いも逡巡する。

でも、打球の音が聞こえる。

間違いない。間違いない。

登りきった先にあったのは、天に一番近い、ヒミツの打撃訓練場だった。

ここは吉兆、どこかに吉兆

町中華でチャーハンを食いたくなり、恵比寿にある中華料理屋、吉兆へ。

入店すると、先客が何人かいた。

おもむろにL字のカウンターの隅の一席に陣取ろうとすると、足元は水浸し。

それもそのはず、その横の給水管から水漏れしているのだ。

そのうえ、店員さんが栓の開け閉めをすると、その振動で隣の席に置いた荷物が揺れる。

まるで給水管が動悸を起こしているようだ。

店の大将は注文が入った時以外、椅子に腰掛けているか立ち尽くしているか。

そのどちらかに関わらず、常に一点を見つめて微動だにしない。

片割れの店員と会話を交わすこともなく、押し黙っている。

唯一、発する言葉は、注文の掛け声に対する「おい」のみだ。

それ以外はただ、動悸を起こした水道栓の音だけが響く。

やがて出てきた今日のお目当て、チャーハンを一口。

水道栓の音がまた響いた。

新年のトキメキは園田競馬場から

新年早々、園田競馬場にやって来た。

馬始めの結果などさておき、ときめいたことをいくつか記そうと思う。

 

まず、第一に、入場した途端に感じる場内のひなびた雰囲気である。

これぞ地方競馬!というにふさわしく年季の入った場内は、すでに30年を数える平成の世にあっては、昭和ノスタルジックなものを伝える歴史遺産とまで言って良いかもしれない。

そのような空間であるがゆえ、慣習やルールも遺産のように残されている。

このご時世、街中や娯楽施設でも、狭い狭い喫煙エリアが設定され、それ以外の場所は禁煙というのが通例となっている。

しかし、ここ園田競馬場ではそれが全くの逆!

競走馬に近いコース前のスタンドやパドックでは禁煙だが、それ以外の場所は喫煙可、というより喫煙のお咎めなしである。

同じ地方競馬場でも、クリーンな場内を目指し、「標準化」した空間づくりを進める大井競馬場では、ここ数年の場内大改修で喫煙お咎めなしのエリアは一気に減ってしまった。

ここ園田競馬場こそ、「中央」の推進する施策、空気感から距離おいた、正真正銘の「地方」競馬場だな。

 

なんて思っていると、今度は場内の隅っこのほうで、ダンボール(人によってはその上に座布団)を敷いてその上に正座やあぐらで、将棋をしているおっちゃんたちに遭遇した。

ときめいてくらくらした。

しかも、足の付いた立派な将棋盤を持ち込んでいる。

そして、顔なじみと思わしき、対局を見守るおっちゃんも数人いる。

100円の入場料を払って、何しに競馬場に来たんだ…と思いかけたが、競馬に飽きたら将棋、将棋に飽きたら競馬と、娯楽をローテーションできるのは意外と快適なのかもしれない…。昔、オリンピック直後の北京を訪れたときに、多くの人が公園で囲碁のようなものを打っていた光景を思い出した。

どちらにしても、関西の将棋文化の根付き方は関東のそれとは比にならない。

こちらも、私のような、園田のFNG(ファッキンニューガイ)は驚いたが、周囲の人は特に気にしていない様子。もちろん、主催者からのお咎めもない様子である。

 

帰り際、園田競馬場掲示物やパンフレットの類などに目をやると、最寄り駅からの行き来には無料の送迎バスを利用するよう呼びかけているのが目についた。

最寄りの阪急園田駅からも20分ほど歩かねばならないため、無料の送迎バスはファンにとってもありがたい。

しかし、裏を返せば、それは、大挙して駅と競馬場間の道を歩かれると困るという、近隣からの苦情に対する配慮なのかもしれない。

まして、我々の目的地は、時代の進行を問題にしない、ある意味で「特区」である。

特区のテンションを外界に持ち込むな、ということなのかもしれない。

 

それでも園田競馬場は特区のままでいい。

そこでは、競馬場外で出来上がりつつある常識のようなものは通用しない。

しかし、それはある意味、競馬場の外の世界のおかしさや脆さを気付かさせてくれる場所でもあるということだ。

日常生活に疲れたり、嫌になったときはぜひ競馬場に行って欲しい。

競馬場がその外の世界に飲み込まれ、一体化してしまう前に。

砂町ラビリンス

東京のなかで、下町の知らない町に迷い込んだとき、普段の生活圏からそれほど遠くに来ていないはずなのに、いや、そうであるからこそ、とても遠い場所に来た感覚に襲われる。

不安。こわい。大丈夫なのか。

脱出できるのか、砂町。

衝撃の二葉フードセンター

目黒最強の下町と呼びたい。

目黒本町である。

これといった最寄駅もなく、学芸大学や武蔵小山の駅からも徒歩で10分以上はかかる。

裏路地に入れば、なぜか駐車場のど真ん中にマットレスが捨てられていたりするそんななかに、平和通り商店街がある。

これがまた味わい深い商店街なのだ。

外観だけで、湯温が45度はあるのではないかと推測できそうな銭湯(後日談:その名も「月光泉」。予感通り、相当に熱かった。まるでアトラクションのように、湯気で一歩先も見えないサウナも一見の価値あり。ここもまた地域に愛される場所。)や、もはや昭和物品ミュージアムと化している靴屋さん、率直にめちゃくちゃうまい練り物屋さんなど、見どころ食べどころが多い。

 

二葉フードセンターは、そんな商店街にある。

表通りには焼き鳥屋さんが出ているが、その脇の通路を進んでいくと、魚屋や肉屋、総菜屋などが軒を連ねており、昔の公設市場のような雰囲気である。

その行き着く先には、八百屋が出ている。

 

あの声が響く。

「今年もいよいよ終わり。アメ横にはお正月を迎えるための買い出しで多くの人が訪れています。」というレポーターのうしろで聞こえる、あの声と同じ声質の掛け声がここでもこだましている。

「はい、ギョーザ100円ギョーザ100円ギョーザ100円ギョーザ100円だよ!」

八百屋さんなのに、ギョーザを激推ししている。

かなり豊富な品揃えの野菜のなかに生ギョーザのパックが置いてある。

たしかに100円と書いている。

「はい、ギョーザ100円ギョーザ100円ギョーザ100円ギョーザ100円だよ!」

「ギョーザ100えーん!」

時々合いの手も入る。女将さんのような女性店員さんによるものだ。

ギョーザの脳内浸食が、そのワンコーラスごとにじわじわと進んでいく。

 

あぁ、ダメだ…。

手を伸ばしてしまいそうだ…。

「ギョーザ100えーん!」